亡き息子に捧げる

長男が自殺した父親が綴るあれこれです。息子を死に追いやってしまった自責の念は一生残ります。息子が僕に残した「お前の生き方は間違っている」というメッセージを心に刻み、日々もがいている自分の姿をそのまま書き綴りました。

登山家の死に思う...

他人の不幸は密の味...

昨日、登山家の栗城史多

(くりきのぶかず)さんが、

エベレスト登頂途上で亡くなりました。

享年35歳は、息子と同世代です...

僕は数年前テレビ番組でこの方を知り、

凍傷で手の指を9本失ってもなおかつ

エベレストに無酸素、単独登山の

挑戦をし続け、SNSなどリアルタイムで

登山の状況を発信している凄い人と

いう認識でした。

この方の生き様に

チャレンジすることの大切さを教えられたり

勇気をもらった人も多かったようです。

その反面、無謀な挑戦とか、

お金を集めるためだとか、

いつも失敗ばかりなので、

下山家などと揶揄もされていたようで、

昨日のネットやSNSなどには相当に

ひどい書かれ方をしていました。

まさに

他人の不幸は蜜の味なのでしょう...

僕は自分が息子を自殺で失っていなければ、

どちらかと言えば、

やはり無謀で、死んでも自業自得だとか

思ったかもしれません。

でも人の死というものは、

亡くなった本人だけの死ではないのです。

両親や兄弟、子供達、祖父母、

親しかった友人など、

亡くなった方が生前関わっていた

周囲のみんなが、

心に大きな傷を負います...

死に方によって、年齢によっては、

その心の傷は時が経っても消えないのです...

ただ、危険なことして死んだから

自業自得だなんて、

自己責任だなんて、

今の僕にはあまりにも酷過ぎる

言い方だと感じます。

僕は、息子の死がなければ、

こんな思いに至らなかったに違いありません。

その意味では息子に感謝しています。

三者は他人の死について、

ただ追悼するだけでいい。

死者にむち打つような言葉は

控えるのがまっとうではないかと...

愛ある親子関係

栗城さんが登山をはじめたころの話し、

登山家でもやらない

無酸素、単独登山に挑戦しはじめた時、

素人がそんなことできるはずないだろうなどと

周囲の目は冷ややかだったようですが、

ただ父親だけは

「お前を信じているよ」

そう言ってくれたそうです。

僕の親子関係とは雲泥の差...

そんな愛情ある親子関係だった

栗城さんのお父様の悲痛を考えると

ただただご冥福をお祈りするしか

ありません。