亡き息子に捧げる

長男が自殺した父親が綴るあれこれです。息子を死に追いやってしまった自責の念は一生残ります。息子が僕に残した「お前の生き方は間違っている」というメッセージを心に刻み、日々もがいている自分の姿をそのまま書き綴りました。

家族とは

薄いつながり

僕は子供のころから

人と一緒にいると疲れました。

それは家族でも同じ。

何故そうなったかは、

生まれつきの性格と

育った環境にあるでしょう。

10年以上前に亡くなった僕の

父親は大学教授で、社会的地位は

立派な人で世間からは、

尊敬される人でしたが、

親(僕の祖父母)とは縁を切っていて、

ことあるごとに祖父母への恨みを

僕に話していました。

この恨み話を聞き続けた僕は、

何かにつけて

父を恨むようになり

結局、人を心から愛することが

出来ない人間になってしまいました。

もちろん、父の責任だけではありませんが、

僕の生まれつきの性格は

父の「ダークサイド」の性格と似ているので、

やはり遺伝は大きいとは思います。

そして、昨日、息子の初盆で、

僕の家族3人と母、弟家族4人、妹の

9人で集まりましたが、

その時、思ったのは、

「誰かが死なないと集まらない家族」

要するに、あえて、

「みんなで会おう」

なんて基本考えない家族なんだな〜

と改めて思いました。

僕は弟や妹と、何年も会話しなかったり

会わなかったり、

それを当然のようにしてきましたし

逆にそれが心地よかったのです。

でも他の家族を見ていると、

大人になっても集まったり、

食事したり、旅行したりしています。

ただ、

僕自身は他の家族とは違っていても、

兄弟の絆も薄い家族なので、

それでも仕方なかったと思います。

でも妻の家族はどうでしょうか?

僕は人と会うのが嫌いなので、

妻の家族とも会う機会は

ほとんどなく、

必然的に妻もおばあちゃんや

お母さんに会うことも

ほとんどなくなっていました。

今思うと、妻には

申し訳ないことをしたと後悔しています。

しかしながら、

他人の基準からしたら間違っていても

そうなってしまう家庭環境しか、

僕は選べなかったのですから...。

息子の初盆で集まった昨日、

僕が改めて思ったことは、

親兄弟とは今更濃いつき合いは

出来ないけれど、

次男とだけは僕が死ぬまで、

沢山会って沢山話そう。

しつこいと思われてもいいから

旅行でもバーベキューでも

いっぱいやろう...

そんなことです。

命を投げ打って

僕をまともにしてくれた

息子(長男)がいなければ、

僕は次男とも

疎遠になっていたでしょう。

そして、次男も苦難の道の中で

行き詰まっていたかも知れません。

改めて息子には頭が下がり、

また自殺に追い込んでしまった

後悔の大きさも増して来るのです。

その息子は次男のこと思って

死にました...

だから僕は、ただただ、

次男を幸せにするしかありません。