亡き息子に捧げる

長男が自殺した父親が綴るあれこれです。息子を死に追いやってしまった自責の念は一生残ります。息子が僕に残した「お前の生き方は間違っている」というメッセージを心に刻み、日々もがいている自分の姿をそのまま書き綴りました。

「供養」という言葉

同じ言葉でも...

供養という言葉があります。

先祖供養とかだと、

どちらかと言えば、

信心深く、心安らぐ

イメージで、悲しみのイメージは

少ないものです。

しかし、

息子に愛情を持てなく、

無関心だったために

息子を自殺に追い込んだ僕には、

供養などと言う言葉は、

正直重いし、おこがましいし

苦しいものです。

息子の供養と

簡単に言ってしまいますが、

やはり供養の気持ちを持ちつつ、

今は、ただ、

命を断って息子が

僕に教えてくれた事を

一つ、一つ、積み重ね、

いつしか、それが残された

次男の幸せに繋がった時、

息子の供養になるのだと

言い聞かせて暮らしています。