参観日
自分が嫌でも息子は違う
息子を死に追いやった大きな原因は
「息子への無関心」でした。
僕は、小学生のころから
参観日が地獄のように
嫌で嫌でたまりませんでした。
何故ならば、母や父は、
常に僕がクラスで一番優秀でなければ
気がすまなく
先生の質問に手を挙げ無ければ
家に帰ってどれだけ怒られるかわからないし、
手を挙げても一番に挙げないと
これまた怒られるし、
貼り出された絵を見られても
親が気に入らない絵を描いていたら
クラスで一番下手だと罵られるし、
とにかく
「参観日」=「地獄」「悪夢」
でしかなかったのです。
そんなトラウマがあって、
息子の参観日はほとんど
行かないことにしていました。
俺があんなに嫌でたまらなかった事を
息子にはしないぞという
決意のもとの行動です。
今、考えれば、
無関心そのもので、
息子の友人の親は来ているのに
自分の親は来ていない
寂しさだけしかなかったのは
よくわかります。
可哀想なことをしたと思います。
しかし、子育て当時の僕は、
「俺が死ぬほど嫌だったことは
死んでも息子にしない」
という全く持って心が曲がった
考えしか出来ませんでした。
そんなことも全ては
親に対しての
「恨み」「憎しみ」から来たことです。
だから、僕は言いたいのです。
「親を恨んだまま
子育てはしてはいけない」と...
しかし、
息子が自殺してはじめて過去の
おかしな自分に気づくのです。
だから僕は、
これから子育てをする人には、
僕の取り返しのつかない
生き様を伝えていきます。
僕の恥をさらしまくりたいのです。