亡き息子に捧げる

長男が自殺した父親が綴るあれこれです。息子を死に追いやってしまった自責の念は一生残ります。息子が僕に残した「お前の生き方は間違っている」というメッセージを心に刻み、日々もがいている自分の姿をそのまま書き綴りました。

バルンガ

息子を死なせた最初のきっかけ

息子を死に至らしめた僕なので、

僕の責任を回避する気持ちは

毛頭ありません。

ただ、今後、「恨み」の連鎖が

続かないようにするには、

失敗の本質を探っていき、

明らかにして、

今後に生かすしかありません。

何回も、何回も書いていますが、

僕は親への恨みを息子で晴らそうと

ずっと行動してきました。

それは僕に「意識があると無しとに関わらず」

続けられてしまっていたのです。

その僕の行動の原点が、

僕が小学校に入学した直後、

図工の時間に描いた絵でした。

先生から

「自分が好きなものを描いてくださ〜い」

と言われ、素直に僕が描いたのは、

ウルトラQに出て来た「バルンガ」という

雲の怪獣でした。

僕は自分が好きなものを描けて

大満足していたところ、

参観日に来た親から、

「なんであんな絵を描いたの!!」

「クラスで一番下手糞だったよ!」

「他の人は公園や人形を描いていたのに

なんでお前はバルンガなんか描いたんだ!」

それは、もう「お前は馬鹿」の嵐でした。

この日以降も何度も、何度も、

しつこく両親から僕の一番好きな

「バルンガ」を全否定され、

嘲笑されて、

いちいち落ち込んでいました。

あれから半世紀以上経った今、

この文章を書いていても

はらわたが煮えくり返りそうで、

どうしても忘れられません。

そして、こんな歪んだ人格になった

僕のもと生まれて来た

息子には本当に申し訳ない気持ちで

いっぱいです...

僕はこの6歳のときから

自己肯定感が全く持てない、

人との比較でしか考えない人生を

送ることになったのです。

6歳の時に芽生えた

「親への恨み」

「参観日の恐怖」

「人と比較される事の苦しさ」

この反対をやろうとして、

「息子から恨まれ」

「参観日に行かず」

「人との比較どころか無関心」になり

僕が息子を死に追いやった原点なのは

間違いありません。

子供の行動を否定ばかりすると

恐らく僕のように

ねじ曲がった性格になるでしょう。

また親を恨むかも知れません。

だから子供にはしっかり関心を持ち、

大いに褒め、少し叱ることが

良いと思います。

今後、親への恨みは封印して生きて

いきたいとは思いますが、

完全に封印出来るほどではありません。

親への恨みが

息子を死なせてしまった

大きな原因だけど

正直に話せば、

なかなか親への恨みは

消えないものです...

弱い自分にまたもや

自己肯定感は崩潰しています...