亡き息子に捧げる

長男が自殺した父親が綴るあれこれです。息子を死に追いやってしまった自責の念は一生残ります。息子が僕に残した「お前の生き方は間違っている」というメッセージを心に刻み、日々もがいている自分の姿をそのまま書き綴りました。

少しだけ安らぐ思い

共にいる感覚

息子は僕を恨んで死にました。

だから僕は息子はあの世からでも

僕には会いたくいないし、

呪っているし、

それは大いに当たり前のことで、

思い切り恨み、呪って欲しいとも願っています。

ただ、僕が息子を死に追いやったのは

その「恨み」というものが

僕の心の根源にあったからなので、

そのことも神様か仏様になった

息子は気づいているはずです。

だからどうなのかというのは

分かりませんが、僕は息子への

引け目を感じながら生きるよりも

仲良くしながら生きる方が

きっと僕たち残された家族は

繁栄出来ると思うのです。

弟のことを一心に思っていた息子にも

顔向けが出来るというものかも知れません。

 

最近、あるブログに出会いました。

たった9ヶ月で祖父、母、兄を亡くし

その後3年間で父と祖母を亡くされた方が

書かれたものでした。

(兄と父は自殺されています)

それでもその方が強く生きているのは、

亡くなった方々と共にいるという感覚で

過ごされているからでした。

先祖供養は自分が死者といっしょにいる感覚を持って

命をまっとうすれば、それが一番の供養だとも。

死者とともに日常を考え、旅を楽しみ、

そういう共生感が全てとも書いてありました。

僕は、少し考えを変えました。

息子は僕を恨んでいるから

離れるのではなく、

人に優し過ぎるほどの性格だった息子と

共に生活し、仕事し、旅をし話しをする。

そして、自分の事よりも他人を優先する息子なら

こんな時どんな判断をするのかを常に考え行動する。

息子が自殺した事実は変えられませんが、

僕の考え方は日々変えていくことは出来るはずです。

浮いたり沈んだりの毎日、毎時間ではありますが、

少しでも「共にいる」感覚で過ごせればと思っています。

こう書いても1分後には

泣いているかも知れませんが....