僕が背負うもの
親よりも親友
僕が息子への愛情が薄いものだった反面、
納骨に来てくれた息子の親友2人は
息子への友情を超えた愛情にも似た気持ちは
とても強かったと思います。
遺体を見つけてくれたのも二人だし、
ここ何年も一番会って話していたのも二人だし
会話もなく、会おうともしなかった僕の
数倍、いや天文学的数字になるくらい
交流の密度は違っていたのです。
僕は「親」という血縁からしたら
一番息子の死を悲しむものだし、
世間からもそう思われるかも知れません。
しかし、息子の死を一番悲しんだのは
血のつながった僕ではなく、
血のつながらない親友2人だったのです。
だから二人にとって息子の死は、
大きな心の傷になっているのは
間違いありません。
僕は、これからの人生、
残された家族を幸せにするだけの
生半可な人生は送れないのです。
家族だけでなく、親友二人や
その他の息子の死を本当に悲しんでくれる
周囲の人のためにも
全部をひっくるめて
幸せな人生にしていく使命を
息子から与えられたのです。
僕の身の丈以上のことは出来ませんが、
身の丈は全部使って、命を全うしていきます。
息子よ、何度も言うが、
こんなに素晴らしい親友に恵まれたお前を
誇りに思うよ。ありがとう。