最大の供養とは
勝手な思い込みかも知れないが
息子が自殺した直後、
僕は息子が命を投げ打って
僕の生き方が間違っていることを
教えてくれたんだと思っていました。
もちろん、それもあるでしょうが、
息子は、そんな事は思いもせず、
ただただ、息子に無関心だった僕を
恨んで、憎んで呪って
死んで行ったと考えるのが
一番まともかと思い返したりもします。
しかし、
例えそうであったとしても
息子の死によって、
やはり僕は今までの生き方や
次男に対しての考え方
行動の仕方は全く変わっています。
だからやはり、
息子の遺志にあると無いとに関わらず、
自然的に、息子の命は、
残された僕の力となっているのは
事実なのです。
ですから、
僕は、勝手に思い続けます...
○○(息子の名)よ、
僕はお前から貰った命を燃やして、
素晴らしい家族になるからね!
それは○○(息子の名)が
いたからこその賜物だと、
感謝しつつ...
ただ、これが最大の供養なのか
どうかは別として...