息子からのプレゼント
嬉しくなくても喜ぶ意味
息子が幼稚園のころ
父の日のプレゼントに
工作で作った粘土細工の
灰皿を貰いました。
僕は、タバコが大嫌いなので、
何で僕に灰皿なんか作ってくるんだと
全く喜びませんでした。
幼稚園児の息子にとって、
僕の嫌いなタバコと結びつく灰皿に
何の悪気もなかったでしょう。
ただ、「プレゼントを作る」
「お父さんが喜ぶ顔がみたい」
という愛情ある行為だったのです。
それを僕は幼稚園の息子に対し
何でこんなもの?
と思ったのです。
バカな親ですが、
憎しみが先立つ僕の性格は、
息子の愛情ある贈り物を
ほったらかしにしてしまいました。
そして、10年ほど経った時、
その灰皿は息子が使っていました...
たとえ嬉しくなくても喜ぶことは、
子供を育てるのにとても
重要なことです。
あの時、僕が、
「灰皿か〜!凄いね!
こんなに上手に作って!」
「お父さんは嬉しくて仕方ないよ!」
こう言って、灰皿を小物入れにして
大切に使っていたら...
こんな悲しい出来事は
起きなかったかも知れません...。