息子の苦しみを想像する事
今更遅くても意味はある
僕は息子が自殺するまで、
長い間苦しんでいたのを
無視して生活していました。
いや、無視と言うより、
全く気にしていなかったのです。
お金がなくて、家賃が払えない状態になり
切羽詰まっていた息子のことを
何も気に留めていませんでした。
何で、何も心配にならないのか?
なんで親なのに親身にならないのか?
普通の親なら当然するであろう行為を、
僕はしませんでした。
逆の立場に立たない自分勝手な僕は、
息子の苦しみを理解することなく、
息子を死に至らしめたのです。
息子の苦しみを今更思っても、
どれほどの意味があるのか、
もう、全ては手遅れじゃないか?
そう思う事もあります。
ただ、やはり、息子の苦しみに
想いを馳せるのは、
息子が命をかけて僕に抗議したこととして、
その抗議に、見合う自分になり、
家族を作っていこうという、
原動力になるのは、間違いありません。
だから、僕は息子の苦しみを
思い続けるのです。