亡き息子に捧げる

長男が自殺した父親が綴るあれこれです。息子を死に追いやってしまった自責の念は一生残ります。息子が僕に残した「お前の生き方は間違っている」というメッセージを心に刻み、日々もがいている自分の姿をそのまま書き綴りました。

葬儀社にて

誰に弔ってもらいたいのか?

このブログの最初のころ

書いたことですが、

息子が自殺した時、

僕はお金がなくて、

火葬など葬儀はしたものの

僧侶を頼むまでの余裕はなく

息子へお経をあげてもらう事が

出来ませんでした。

そんな僕に親切な葬儀社は、

毎月1万円の分割で利子無しという

条件で30万円近い支払いを

猶予してくれたのです。

地獄に仏とはこのことでしょう。

そして、息子の葬儀以来、

毎月葬儀社を訪問し、

感謝を伝え支払いをしています。

そんな中、今日葬儀社に行った時に

神式での葬儀だったのか、

玄関先で椅子に座り

装束を脱いだ白衣の姿で、

足を組みタバコを吹かしている

神主を見かけました。

その時、葬儀社の人が、

「火葬場を出ましたよ」

と神主に教えたのです。

神主は、

「もう出たか!」

そう言うと、

おもむろにタバコを灰皿に押し込み、

準備へと向かいました。

その時

「自分の葬儀にこの神主は来て欲しくない」

そう思ったのです。

葬儀は葬儀社におまかせするのが、

一番楽なのは間違いありません。

しかし、弔ってくれる人を選ぶのは、

生前にしておくか、

別に他人に弔ってもらわずとも

家族に弔ってもらえればそれがいいと

心から感じました。

息子には僧侶も手配出来なかった僕、

今思えば、息子が心から

お経をあげて欲しいと思える

僧侶でなかったら

僧侶を頼む意味は半減していたと

感じるのです。

もちろん、今後、

必ず息子には

「息子が納得し満足する」

弔い方をしていきます。

それはお経ではなく、

まずは、今後の、

僕の生き方そのものです。