亡き息子に捧げる

長男が自殺した父親が綴るあれこれです。息子を死に追いやってしまった自責の念は一生残ります。息子が僕に残した「お前の生き方は間違っている」というメッセージを心に刻み、日々もがいている自分の姿をそのまま書き綴りました。

有り難い出来事

納骨の日に...

今日は息子の納骨と四十九日法要でした。

天気予報通り朝からの雨...

法要には僕たち夫婦と次男、

母と僕の弟夫婦、妹の親族の他、

亡くなった長男の親友で、

遺体の発見者でもある若い男女二人が

列席してくれました。

法要のあとは親友以外の親族で

軽く食事する予定にしていました。

法要後、親友二人には寸志のお土産を渡し

そこで、二人とはお別れをしました。

その後、僕たちが建物の出口までいくと

そこにはさっき別れたばかりの親友二人が待っていて、

「ちょっとお話をしたいのですが」

と声をかけられたのです。

僕は予定を変更し、親友二人と

僕たち夫婦と弟で、すぐ前の食堂に入りました。

他の親族には申し訳無かったし、

法要で主催者がいなくなるのは

良くないとは思いつつ

親友を優先したのです。

ここで、僕たち夫婦は亡くなった息子が

いかに二人の心の拠り所になっていたか、

どれだけ多くの人に愛されていたかを

知らされました。

そして、息子がいなくなった今、

どれだけ二人の心に大きな穴が空いているかも

伝えられたのです。

僕が息子に対しての愛情不足や

育て方の問題を話したら、

「そのお父さんお母さんがいたからこそ

僕たちは○○君(息子の名前)と出会えたんですよ!」

そう言ってもらえて、

僕はかなり気持ちが楽になりました。

もちろん、だからといって僕が息子に対して

とっていた態度が正当化されるのではありません。

ただ、今日、親友二人が僕たちと

話す機会を作ってくれていなければ、

きっと僕の気持ちは今とは違っていたでしょう。

そして、こんなにも素晴らしい親友に恵まれていた息子を

死に至らしめた僕の未熟さを改めて痛感しました。

親族はほったらかしにして

悪かったのですが、

僕にとって今日という日は、

納骨、四十九日法要だけではなく

息子の親友に僕がこれから生きていく

心の持ち方を教えてもらう

大切な日でもあったのでした。

息子よ、こんな素晴らしい親友を持ってくれて

本当にありがとう!